豊洲の女・三沢カヅチカ氏2018年06月03日 22時19分

ある用件で、異才の持ち主と交流していくことになりました。

この方、歌の才能もあり、CDも出しています。

曲名は「豊洲の女」。歌手名は三沢カヅチカ。
歌謡曲です。
「豊洲の女」のCDジャケット(出典はエスプロレコーズ)

私は知らなかったのですが、昨年6月に発売されるや、
都知事をパロディー化した歌だと話題になったようです。

さらにネットでは、三沢カヅチカ氏が「謎の歌手」であり
実は内閣に近い○○ではないか、など諸説あります。

そうなると、さすがに氏の正体をここで明かすわけには
いかないですね。はい。
「豊洲の女」はYou Tube にもアップされています。

鎌ヶ谷プロジェクトの説明2018年06月06日 19時15分

国交省の I さんより依頼され、私が取り組んできた生活道路の
安全対策に関連する研究概要を説明することになりました。
特に鎌ケ谷プロジェクトについて、その背景や経緯を知りたい
とのことです。

実は国交省では6月21日に「生活道路交通安全フォーラム」を
開催するのですが、メインになっている考えは
「ビッグデータを活用したヒヤリ・ハット情報の展開」です。

その基本的な考えを考案し、実用化に向けて発展させてきた
のは、IATSS(国際交通安全学会)の鈴木春男先生を中心と
した「ヒヤリ地図」の開発プロジェクトと、
高田邦道先生、赤羽弘和先生を中心として鎌ケ谷市で展開
してきた「市民参加型交通安全対策」の取り組みです。

ところがご多分に漏れず、2〜3年で異動するお役所では、
それらの流れはきちんと伝達されず、ときには誤って継承され
ていったりします。

どうやらその反省もあってか、今回「鎌ヶ谷市での取り組みを
関係者にヒアリングしよう」ということになったのでしょう。
一連の調査研究すべてに携ってきたのは私だけなのです。

ということで、生活道路・子どもの安全に関する過去研究と
取り組みの概要について説明させていただきました。
パワポを54枚作成したのですが、ここでは7枚+1枚(再掲:
4月20ブログの鎌ヶ谷スキーム)のスライドだけご紹介しましょう。
スライドに要点をまとめましたので、解説なしでも理解できると
思います。
(私は当時、修士のみで博士の学位は未取得でした。)

追記・越 正毅教授のこと2018年06月07日 20時43分

「鎌ヶ谷プロジェクトの説明」の追記です。

スライド2枚めの、提言『交通事故半減をめざして』の提言
メンバーの代表でもある越 正毅先生(故人)に、生前私は
どれだけお世話になったかしれません。
私が東京に転居したのは1996年の夏のことです。

当事は今のようにインターネットが普及しておらず、岐阜に住んで
いると東京の住宅事情が今いちつかめませんでした。

するとそれを聞きつけた越先生が、何と新聞の折り込みチラシを
たくさん集めてくださるようになったのです。
そして少したまると、わざわざ郵便で送ってくださいました。
交通の研究者の権威でもある東大教授の、あまりのお心遣いに
恐縮し、かつ感激せずにはいられませんでした。

おかげで豊富な住宅情報が集まり、良い不動産会社とも巡り会え、
今のマンションを購入することができました。
越教授は知る人ぞ知るオーバーナナハンライダー。
私は中型二輪ライダー。越教授とはライダーつながりでもあります。

私は岐阜で岐阜テレビのキャスターとして、社長、文化人との
対談番組を持っていました。
(「ちょっといっぷく」と「忙中閑談」)

名刺のバイクはカワサキZZ-R。
越教授とバイクやツーリングの話題で盛り上がったことを
昨日のように思い出します。

追記その2:
赤羽弘和先生は、東大の越研究室の若手ホープとして参入され、
これ以降ずっとご一緒させていただいています。
もう20年になるのですね。

ガードナーとの2ショット(1990鈴鹿8耐)2018年06月12日 19時42分

1996年に東京に転居する直前、私は極めて多忙でした。
洋上大学の講師として3週間ほど日本を留守にし、帰国して
バタバタと荷造りして引っ越したのです。

その時の荷物の中に大量のフイルム写真があり、ほぼ
未整理のままだったのを今ごろようやく片づけています。
(まあ断捨離ですね。)

そしたらなんとガードナーとの2ショットが出てきました。
昨年9月で廃刊となった岐阜新聞のコラム「夕閑帳」にも
書いた鈴鹿8耐のときの写真です。
コラムも再掲します。
ガス欠でリタイアしたときのものなので、1990年ですね。
この翌年、ガードナーは悲願の優勝を果たしたのです。
8耐のスタートシーン。ル・マン式スタートです。
スタートの合図とともに、グランドスタンド側からライダーが
コースを横切って自分のマシンにかけ寄ります。
そしてエンジンをスタートさせ、いよいよレースが始まります。
グランドスタンドの上部にあるガラス張りの来賓室より撮影。
(1990年当時の鈴鹿サーキットはこんな感じでした。)

ガードナーの走り2018年06月13日 19時06分

雑誌で紹介されたガードナーの走りと、ガードナー、ドーハン
写真出典:『速報!! 8耐スズカ ’89 Suzuka 8-hours』
    日刊スポーツ出版社、1989年

本田宗一郎さんとIATSS2018年06月15日 19時24分

鈴鹿サーキットが本田技研の創業者である本田宗一郎氏と、
藤沢武夫氏の夢と信念とでつくられたことは良く知られています。

本田宗一郎氏がもう一つ信念と使命感を持って設立したのが
研究機関の国際交通安全学会(IATSS)です。

交通問題や環境問題を解決するための学際的な研究が必要である
として、退職金や私財を投じて1974年に設立したのでした。

ある日、岐阜にいた私のところにIATSSの方が訪ねてこられ、
ぜひ会員として一緒に研究活動をして欲しいとおっしゃられました。
それまで本田宗一郎さんは私にとって雲の上の存在でしたし、
何の接点もありませんでしたので、ただもうびっくりしました。

不安を覚えながらも私に入会を決意させたのは本田宗一郎氏の
「本田イズム」でした。
人間尊重、環境への配慮、チャレンジ精神、レースへのロマンと
情熱。全てが私の心を打ちました。
そして1989年、私はIATSSに入会させていただきました。
会員数が50名限定であることは説明されていましたが、
そうそうたる研究者の集まりであることをあとで知りました。

ただ当時は、IATSSを設立したのが本田宗一郎氏だということは
ほとんど伏せられていました。
(ご本人の意向だったようです。)

そして当時のIATSSは今よりずっと自由?でフランクな雰囲気が
あり、研究以外にも和気あいあいとした交流の場が設けられて
いました。
レース場で試乗会をしたり、クルージングで交流会をしたり・・

たぶん私が8耐やF1 などにVIP対応でご招待いただけたのも、
そういう下地があったからではないかと思います。
本田宗一郎氏の言葉:2013年本田賞授与式会場にて撮影

IATSS「障がい者自転車教育プログラム」2018年06月16日 19時14分

今週初め私が本年度関わっているIATSSでの研究調査の1つ
「インクルーシブサイクリンの手引きを活用した
 障がい者自転車教育プログラムの地域展開」
の第1回研究会が開催されました。

昨年11月に松山で開催した「障害児向け自転車トレーニング」
の研究の続きです。

障害児向け自転車トレーニング 2017年11月25日

かなり前から、研究会では多忙で出席できない先生方が
スカイプで参加されるようになっています。
今回も、ロンドン大学の藤山拓先生、近畿大学の柳原崇男先生は
スカイプ参加でした。
ロンドンはサマータイム中ですので、日本との時差は8時間。
映像も声も鮮明で、昔では想像できなかった会議スタイルです。

本研究はまだ公開できる資料はありませんので、時期が来ましたら
ブログにアップしたいと考えています。

ブロック塀の安全2018年06月25日 20時45分

さる6月18日に大阪府北部を震源とする地震が発生しました。

この地震で高槻市の小学校でブロック塀の上段部分が道路側に
倒壊し、登校中の小学4年生の女児が下敷きになり死亡しました。

報道によれば、女児はその日が「あいさつ当番」になっていたため
いつもより早めに家を出たとのことです。そしてちょうどブロック
塀の下に差しかかったとき、地震が発生したのです。

何と痛ましく、気の毒なことでしょう。

地震時のブロック塀の危険性については、過去の災害時の教訓も
あり、何度も指摘されてきたはずです。
後から、そのブロック塀が建築基準法違反であったことが判明
しました。
しかも専門家から危険性を指摘され、市がブロック塀を点検した
ものの、職員は建築士の資格も持っておらず、簡易的な検査しか
しなかったことも明らかにされました。
まさに人災です。

通学路の子どもの命を守る活動を続けている全標協にも、国交省
から事務連絡が届き、本部より転送されました。
資料を2枚のみアップします。

なお、私はブロック塀の高さは子どもの背の高さを超えないほうが
より安全だと考えています。
上部はフェンスか不透明なプラスチック製のパネルで十分です。
メーカーがそういう製品をすでに開発・販売しているのではないで
しょうか。