富士教育訓練センターへ2017年11月11日 21時30分

富士教育訓練センターにて実施される「登録基幹技能者講習
(路面標示)」の閉講式に清水会長の代理で出席しました。

挨拶と、修了証書の授与を行いました。

この講習は、全標協が国土交通大臣の登録を受けた機関として
建設業法施行規則第18条の3の4の規定に基づき実施している
もので、講習後に認定試験があります。

閉講式は認定試験が終わったあと14時30分より行われました。

今まで何度か富士教育訓練センターに来ていますが、きょうの
富士山は最高に美しい姿でした。
これは「新富士駅」発「富士山駅」行き路線バスを
「道の駅朝霧公園」で下車したとき写したもの。
道の駅に隣接する富士教育訓練センターからは富士山が
下の写真のように見えます。

これまで何度かセンター入り口から富士山方面を写しましたが、
雲でどこに富士山があるのか分からないままでした。

閉講式の前に、訓練センターの菅井文明専務理事が
「先日、国交省の森 昌文技監がこちらに視察に来られて、
この訓練センターの取り組みに大きな関心を持ってくれ
ましたよ」と新聞記事を見せながら教えてくださいました。
(森技監とは国交省の道路局長時代から面識があります。
 工学博士。厳しいこともズバリと指摘する方です。)

同訓練センターには、宿泊施設や入浴施設のほかに食堂、
体育館も整備されています。
建設技術者・技能者の教育訓練だけでなく、新入社員研修や、
変わったところでは引きこもりの生徒の合宿研修(夏休み)
にも利用されていて、好評とのことです。

小田高同期会20172017年10月29日 23時50分

小田高(神奈川県立小田原高等学校)16回生の同期会が
湯本富士屋ホテルにて開催されました。
湯本富士屋ホテルHPよりホテル全景

毎年クラス持ち回りで担当している同期会。
今年は1組、2組合同の担当です。
幹事の皆さん。お世話様です。
同期会の日はなぜか雨が降ることが多く、今年も土砂降りの
天気になってしまいました。

集合写真撮影のあと、クラスごとのテーブルに分かれて
歓談です。

7組は今回14名の参加。
5月の泊まりがけクラス会直前に倒れてしまった瀬戸さんが
元気な姿を見せてくれて、ホッとしました。
まだ全快ではないそうですが、再会できて本当に良かった。

持病のため直前になって欠席となることも多い瀧本さんが、
顔を見せてくれたのも嬉しかった。
彼は一橋大学に進学して旅行代理店の創業者になり実業家と
して活躍しています。
ウィキペディアにも載っていることを知ったときはびっくり
しました。
サイバー大学IT総合学部客員教授もされていたようです。

山本(忠)さん。6月頃は大変でしたね。
「大企業のトップともなると、海外のグループ会社で起きた
問題でも責任を負わなくちゃならないものね」
と、酒を酌み交わしながら語り合いました。
「おーい、元気だったか」と大勢の同期生が彼の周りに
集まりました。
しばらくゆっくり休んでください。

磯崎さんも横浜に本社がある企業の経営者。
あなたは遊び人でやんちゃな人みたいなことをいつも
おっしゃってますが、実はものすごい気配りの人だという
ことを私は知っていますよ。
泊まりがけクラス会のときでも、当日キャンセルした人の
分(食事代)を、皆に大きな負担がかからないように先に
そっと支払って帰られたでしょう?
豪快なのに繊細。すごい人だよ。あなたは。

風間さんは環境問題のプロ。リタイアしてからは地域で
防災のボランティア活動に力を入れてます。
根府川駅の外にある「関東大震災慰霊碑」の写真をわざわざ
撮りにいって持ってきてくれました。

泊まりがけクラス会のとき、根府川駅構内の慰霊碑を写した
話をしたら、「慰霊碑は駅の外にもあるよ」と教えてくれ、
忘れずに写してきてくれたのです。ありがとう!!
お連れ合い様も水環境の専門家で、学術博士。めざましい
活躍をされている方です。

柳川さん。昨年はお兄様の著書をありがとう。
藪柑子 実(やぶこうじ みのる)著『街道の村 多古風土記』
 発行 有限会社 柳川ネイチア
 制作 夢工房
小田原市多古(たこ)の、古代から近現代にいたるまでの
歴史的変遷をまとめた貴重な内容の著書です。
実に多くの資料を綿密に調べて書き記したもので、
興味深く拝読しました。
感想を送らないでごめんね。
お兄様によろしくお伝えください。

差し入れした「美濃焼き壷入り 長期熟成秘蔵古酒」
(弘前の六花酒造さんのお酒)を一次会から出したところ、
好評でした。みんなに喜んでもらえて良かったです。
少ないながらも女子が5名も出席して、旧交を温めることが
できました。
7組は14名なのに11名しか登壇してません。
瀧本さんは途中退席されたけれど、
医学博士で医師の武尾さんと、リタイア後、農業にいそしみ
ながら地域貢献もしている皆木さんはどこへ消えたの?

クラス写真をちょっと小さくアップ。
担任の宮崎隆二先生は鬼籍に入られました。
受け持ちは化学。芥川龍之介に似た雰囲気の先生でした。

すでにクラスメイトの9名が逝去されたそうです。
寂しいなあ・・みんな優秀で真面目な人ばかり。
東急の関連会社の社長になった勝俣さんには、仕事面でも
ずいぶん助けられました。今、箱根に眠っています。
勝俣さん、お世話になりました。
力になってくれて本当にありがとうね。

みんな体に気をつけて、1日1日を大切に生きようね。
来年もまた会いましょう。

子どもを守ろうプロジェクト全国大会2017年10月27日 22時06分

昨日(2017年10月26日)、全標協の「子どもを守ろう
プロジェクト」第9回全国大会が、広島市の広島国際会議場
「ヒマワリ」にて開始されました。

「子どもを守ろうプロジェクト」は全標協の会員企業が、
自発的に行っている社会貢献活動です。

2005年に愛知県協会が、「犯罪・交通事故・災害から
子どもを守ろう」とスタートさせました。
安全施設整備の専門的知識を持っている技術者集団として
ハード整備と同時にソフト面の活動も行っている取り組み
です。

当時、業界を取り巻く環境が厳しかったにもかかわらず、
この活動は趣旨に賛同した支部に広がっていきました。

「うちもこういう活動をやりたいがノウハウがわからない」
との声が聞かれるようになり、それなら一度情報交換会でも
しようではないかということになりました。
愛知県協会の呼びかけで金沢市で「全国交流会」が開かれた
のが2009年。
なんと1都10県から60名もの参加者が集まりました。

2009年というのは政権が民主党に代わった年です。

「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズのもと、
子ども手当が創設され、公共事業は大幅に削減されました。

その結果、標識や路面標示のような、中小の専門工事業者が
細々とやってきた仕事まで大手ゼネコンや他業種企業が入札
に参加するようになり、安い値段で落札していきました。
技術力や培ってきたノウハウが評価されず、「値段」だけが
入札の基準だったからです。

全標協の会合で地方に行くと「このままでは倒産する」
という悲痛な叫びが聞こえてきました。
その中にあって、なぜかこの活動は全国各地の会員の心を
ぎゅっとつかみました。
「未来を担う子どもたちの命を守る活動」が、もしかしたら
究極の公共事業の一つのあり方ではないか、と受け止められ
たからではないかと思います。
苦しい時代こそ、知恵を絞って業界の方向性について論じ、
生き残っていく指針のようなものを打ち出そうと誰もが
望んでいたのだと思います。

金沢市の全国交流会のあと「来年も集まろう」という声が
上がり、翌年は静岡県焼津市で第2回、さらに3回、4回、
5回と交流会が続きました。

第6回からは「全国大会」と改称し、徐々に参加者も増え、
今年は「第9回全国大会」となった次第です。
開催場所と参加者数をまとめてみました。
この間、全標協は技術者の育成と、技術力を入札の条件に
加える「総合評価方式」を、国や自治体に働きかけ、地道に
陳情活動を続けてきました。
その一方で、「登録基幹技能者」「路面標示施工技能士」
などの技術者育成制度に力を入れてきました。
今、これら有資格者を抱える企業は入札時の加点制度等を
通じて受注面で有利な位置に立つことも可能となりました。

減り続けていた会員も少しずつですが増えてきました。
技術力を磨く、社会貢献もしていくという方向性が
間違っていなかったと痛感しています。

さて広島の大会では、会場の一画を一般市民に開放し、
子どもたちの安全に関わる方ならどなたでも聴講できる
ようにしました。
(広島県協会さんたちのご努力のおかげです。)
そして来賓として広島県副知事(知事選が始まったので
知事代理として)、広島市長、大竹市長、廿日市市副市長、
県議会や広島県警察本部からもそうそうたる方々が列席され、
ご挨拶を賜わることができました。

活動報告より、広島県の取り組みの一部をご紹介します。
広島県では今年度、広島市立楠那(くすな)小学校校区の
通学路の安全対策と、交差点の巻き込み防止対策、
大竹市立大竹小学校校区の、横断歩道等の注意喚起対策、
児童館や小学校正門内の防犯対策に取り組みました。
写真データが手元にないので、以下に昨年度の廿日市市の
事例でその様子を示します。
写真出典は広島安全施設業協同組合「あんぜんひろしま」
子供を守ろうプロジェクト事業
通学路周辺道路に「学童注意」の路面シートの設置や
路側帯のカラー塗装を行いました。
一部区間で赤色塗装になっているのは「広島カープの色」
だからだそうです。
今年の実施場所でもカープの色を多用。さすが広島♥
防犯の標語「いかのおすし」の路面シート

これらの設置場所の選定には地域の方の要望を受けての
通行量調査や、関係先への陳情活動も含まれています。
また貼付作業の一部には、学童やPTA、教育委員会などの
参加や協力をいただいています。

どの支部、県協会もそうですが、ハードの整備だけでなく、
学校の協力を得て、子どもたちの「安全教室」「自分の命は
自分で守る」ということを学んでもらうソフト活動もセット
で行っています。
この活動をして、初めて「工事をしてくれてありがとう」
という言葉を子どもたちや住民の方にかけてもらった。
それが何よりも嬉しかった、という会員の声には胸を打つ
ものがありました。

最後に、大会記念品がユニークだったのでご紹介。
縁もゆかりも一期一会と書かれた紙袋の中に入っていたのは
紫色と朱色のマジックペン
ではなくふりかけでした。
マジックペン型ふりかけとしてツイッターでも話題になって
いるそうです。
紫色のは赤しそふりかけの「ゆかりペン」。
朱色のはピリ辛たらこふりかけの「あかりペン」

上の写真2枚は三島の通販ホームページより引用。
「ゆかり」を製造販売している三島食品株式会社
広島の会社だとは知りませんでした。

原爆ドーム・広島2017年10月26日 22時15分

全標協「子どもを守ろうプロジェクト」全国大会のため
広島市にやってきました。
ず〜っと雨続きでしたが、台風21号も去り、久しぶりの
青空です。雲一つない気持ちの良い日になりました。

大会は広島国際会議場で14時から。少し早めに広島入りし
原爆ドームを訪問しました。

この辺り一帯への訪問は、砂防地すべり・技術センターの
土砂災害対策工事現場視察のとき以来?
路面電車を「原爆ドーム前」で下車すると、樹木の向こうに
原爆ドームの建物が見えてきます。


この建物は原爆投下時、広島県産業奨励館と呼ばれ、様々な
物産を展示する施設だったようです。
原子爆弾が炸裂したあと、中央のドーム部分が全壊を免れ
爆心地近くでは数少ない被爆建造物として残りました。

サンフランシスコ講和条約で連合軍の占領が終わる1951年
(昭和26年)ごろにはすでに市民から「原爆ドーム」と
呼ばれていたということです。
戦後の復興で原爆ドームも取り壊すべきという声もあった
そうですが、保存運動の末、残されることになりました。
そして1996年12月に世界遺産に登録されたのです。

元安川にかかる元安橋を渡ると、広々とした平和記念公園と
なります。
「原爆の子の像」「平和の泉」「平和の灯」そして
「原爆死没者慰霊碑」(正式名称:広島平和都市記念碑)
と続きます。
外国人観光客が思った以上に多いのにはびっくりしました。

原爆死没者慰霊碑にはたくさんの花が飾られています。
祈りを捧げる人の列が絶えません。
人波が引いた一瞬の間に慰霊碑の前に立つと、真正面に
原爆ドームが見えました。

この慰霊碑を設計したのは建築家・丹下健三氏。
丹下氏は原爆ドーム、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、
そして背景の広島平和記念資料館(本館)がすべて
一直線上に並ぶように配置したのです。
原爆慰霊碑のアーチの中に、川向こうの遠い場所にある
原爆ドームがすっぽりと収まっている光景には胸を打たれ
ます。
昨年(2016年)5月27日、ここに足を運んだアメリカの
オバマ大統領も、同じ光景をしっかりと目に焼き付けた
ことでしょう。

「子どもを守ろうプロジェクト」全国大会終了後に見学した
広島平和記念資料館(東館)には、オバマ大統領が記した
メッセージと、子どもたちに手渡した折り鶴が展示されて
いました。



オバマ大統領の広島訪問について書いた「夕閑帳」です。

松島2017年10月20日 22時45分

東ブロック会議の翌日は、ゴルフ組と観光組とに分かれての
親睦イベント(自由参加)です。
私は観光組で、行き先は松島でした。

あいにくずっと雨続き。ゴルフ組はさぞ大変なことでしょう。

日本三景の一つとして知られる松島には大小260あまりの
島があります。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では
この島々が津波をやわらげ、松島町を守りました。
もちろん津波は瑞巌寺(ずいがんじ)の参道の中ほどまで
到達していますが、その被害は他の沿岸市町に比べると
奇跡的に少ないものでした。
<松島観光マップより瑞巌寺の位置>
<津波到達地点の立て札>

当日、松島を訪れていた観光客はおよそ1,200人だったそう
ですが、遊覧中の観光船は地震発生と同時に桟橋に戻り、
待機していたスタッフが津波避難の誘導をしました。
余震が続き、電気、水道、電話、鉄道などのインフラが途絶
するなか、松島町内のホテルのほとんどが観光客を自主的に
受け入れ、観光客の一人もけがすることなく、4日目までに
全員無事に帰宅できたのでした。
主な参考資料:
『東北地方太平洋沖地震 東日本大震災 ー記録・検証=
 ー新しい防災まちづくりのためにー」
 平成24年3月 松島町
「松島観光の震災と復興」
 社団法人 松島観光協会 会長 佐藤 久一郎 様
 (一財)貿易研修センター e-Magazine

さて松島湾内一周遊覧は、せっかく50分のAコースをご用意
いただいたにもかかわらず、雨で窓越しのみの観光と
なりました。
が、たくさんの島々と、それを一生懸命解説してくださる
ガイドさんの熱意のおかげで充実した観光になりました。
これは松島湾沖合にある「仁王島」。
形が仁王様に似ていることから「仁王島」と名づけられたと
のことです。波の浸食の力でこういう形になったのですね。
2日間、全標協東北支部の皆様には本当にお世話になり
ありがとうございました。

全標協会議で仙台へ2017年10月19日 23時39分

全標協では、組織を大きく東ブロックと西ブロックに分け、
毎年秋に交代で「支部長・県協会長会議」を開いています。
今年は東ブロックの番で、東北支部の主催により、仙台市の
仙台国際ホテルにて開催されました。

本部提出議題、支部提出議題とも、熱心な討議、意見交換が
なされ、滞りなく終了しました。
東北支部の皆様のご尽力に心より感謝申し上げます。
お陰さまで有意義な会議となりました。
そういえば今年は集合写真がありませんでした。

ちなみに2014年(平成26年)は西ブロック(高松

2015年(平成27年)は東ブロック(札幌

2016年(平成28年)は西ブロック(福岡)でした。

田下昌人さん(ミュージックストリート)2017年10月10日 11時08分

10月8日(日)に第11回小田原城ミュージックストリート
が、小田原駅周辺の路上にて開催されました。
(開催ポスター 出典:
 小田原城ミュージックストリート実行委員会事務局)

小田高同期(2組)の田下昌人さんがお城通りのUMECO前
特設ステージに出演するというお知らせをいただきました。

田下さんはこれまで「田下兄弟社」というバンド名で活動
してこられ、同期会でも何度か演奏してくれていました。
が、なんと昨年弟さんが急逝されてしまったのです。

宝子山典宏さんからのメールでは、今年はソロでの出演
ということでした。
あいにく聴きにいかれなかったのですが、宝子山さんから
田下さんの演奏写真が送られてきました。

アメリカンルーツのフォークやカントリーだったようです。
同期生が何人かいらしてたそうです。

今月29日に同期会が箱根で開かれます。
みなさんそこでお目にかかりましょうね。

またこのお酒を差し入れますので、二次会で一緒に
飲みましょう。

(弘前の六花酒造さんのお酒です。

 美濃焼き壷入り 長期熟成秘蔵古酒

 N澤さま。いつもお贈りくださり、ありがとうございます。
 ここ数年は高校の同期生とおいしくいただいています。)

8耐とF1(夕閑帳より)2017年10月02日 21時51分

「夕閑帳」おまけ

執筆30年の間に書いた原稿のジャンルは様々ですが、
執筆スタート直後に2輪免許を取得したこともあって、
オートバイ関連のネタが多くなったのは必然でしょう。

8耐でのガードナーとの出会いと、セナの激突死は、
忘れることのできない原稿となりました。




「夕閑帳」よ さようなら2017年09月30日 20時30分

前にも書きましたように、岐阜新聞夕刊が本日2017年9月30日
をもって廃刊となります。

1987年3月から月3−4本のペースで執筆してきたコラム
「夕閑帳」(ゆうかんちょう)も終了です。

30年という間には、ハプニングもいろいろありました。
9月の初旬にも「ミサイルとJアラート」と題した原稿を書いた
ところ、掲載直前に2発目のミサイルが日本列島を通過し、
大急ぎで原稿を書き直しました。

最終原稿は「ミッション終了」
9月27日に掲載されました。
この日は紙面1面の右下に「10月から夕刊を朝刊に統合します」
という告知が出ていました。

記念に1面の新聞名と、告知と最終原稿をキリハリしました。

私の最初の原稿は「岐阜日日新聞」だった1987(昭和62)年
3月9日の「坂のある街」です。
キリヌキを何で貼ったのか、この1枚だけ変色しています。
そうそうそう。コラムの執筆当初、この「夕閑帳」という
文字が判読できず、周りの人たちはそれぞれ勝手に名づけて
いたっけ。
(貴女が書いている「夕開帳」とか「夕刊鳥」とか・・)
そして、このイラストが「鵜(う)」だと分かる人も
あまりいなかったのです。

2本目の原稿「計算機」はちょっとイレギュラーな形。
段落の間の♢が1つだけです。

本当にあっという間の30年でした。
お手紙や励ましの言葉をかけてくださった読者の皆様には
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

チェロとピアノコンサート2017年09月23日 22時31分

小田高同期の久保寺敏郎さんのコンサート
「チェロとピアノ第10回コンサート」にいってきました。

チェロは久保寺敏郎さん。ピアノは久保寺美帆さん。
会場は秦野市文化会館小ホールです。
演奏を始める前に、10回を迎えた演奏会への思いと、
来てくださったかたにお礼のことばを述べる久保寺さん。

一昨年のコンサート
昨年のコンサート
にも書きましたように、彼の本業は建築家です。
主な作品に秦野市立図書館ー日本建築士会連合会賞優秀賞受賞
があります(再掲)。

今年の演目はサン・サーンスとフォーレの作品でした。
サン・サーンスのチェロソナタ2番は壮大な曲。
久保寺美帆さんのピアノがとにかく圧巻でした。

第10回記念ということで、最後に日本の歌シリーズまで
用意されていました。

コンサートのあと二次会で、久保寺さんや地域のお仲間や
高校の同級生たちと楽しく有意義なひとときを過ごしました。
健康に留意して、来年もまた素晴らしい演奏を聴かせて
くださるよう祈念しています。