喪中はがき&森杉壽芳先生のご逝去 ― 2016年11月28日 22時30分
今年は息子の次女が亡くなったため、
来年の年賀は欠礼します。
思い出しても悲しい出来事でした。
時間が経っても悲しみが弱まるということはないのですね。
喪中はがきを準備し、宛名書き・投函とも終わりました。
先日、岐阜大学大学院(修士課程)の指導教員だった
森杉壽芳教授の喪中はがきを受け取りました。
今年5月に逝去されたということです。
体調がすぐれないということはお聞きしていました。
森杉教授には大学院時代、土木計画学で、厳しくも温かい
ご指導をいただきました。
森杉教授はその後、アジア工科大学等へ赴任され、
東北大学に赴任されて、教授としてご活躍されました。
岐阜大学の森杉研究室には、助手の大野栄治先生と
院生の先輩の林山泰久さん(先生)がいらっしゃいました。
林山先生は私の研究を親身になって手伝ってくださいました。
その後、林山泰久先生も東北大学の教授となって
華々しいご活躍をされました。
大野栄治先生は名城大教授となり、環境共生学会などで
ご一緒することがあります。
この森杉ー林山ー大野教授が、日本の公共経済学を
牽引したと言っても過言ではありません。
ところが林山泰久東北大学教授は2013年7月に50歳という
若さで逝去されました。
そして今度は森杉壽芳教授のご逝去。
お二人の先生には感謝しかありません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
来年の年賀は欠礼します。
思い出しても悲しい出来事でした。
時間が経っても悲しみが弱まるということはないのですね。
喪中はがきを準備し、宛名書き・投函とも終わりました。
先日、岐阜大学大学院(修士課程)の指導教員だった
森杉壽芳教授の喪中はがきを受け取りました。
今年5月に逝去されたということです。
体調がすぐれないということはお聞きしていました。
森杉教授には大学院時代、土木計画学で、厳しくも温かい
ご指導をいただきました。
森杉教授はその後、アジア工科大学等へ赴任され、
東北大学に赴任されて、教授としてご活躍されました。
岐阜大学の森杉研究室には、助手の大野栄治先生と
院生の先輩の林山泰久さん(先生)がいらっしゃいました。
林山先生は私の研究を親身になって手伝ってくださいました。
その後、林山泰久先生も東北大学の教授となって
華々しいご活躍をされました。
大野栄治先生は名城大教授となり、環境共生学会などで
ご一緒することがあります。
この森杉ー林山ー大野教授が、日本の公共経済学を
牽引したと言っても過言ではありません。
ところが林山泰久東北大学教授は2013年7月に50歳という
若さで逝去されました。
そして今度は森杉壽芳教授のご逝去。
お二人の先生には感謝しかありません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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