ロス写真 ― 2017年09月02日 14時59分
バイシクルシティエキスポ ― 2017年09月09日 20時35分
「バイシクルシティエキスポ 2017」という自転車関連の
イベントがあり、参加してきました。
会場はJR高田馬場駅近くのベルサール高田馬場
(住友不動産新宿ガーデンタワー地下2階)です。
(上図:住友不動産ベルサールHP より引用)
「自転車活用推進計画」がこれから本格的に始動するのに
向けた自転車のまちづくり博です。
ここに全標協も出展をしました。
国土交通省も警視庁も自治体も出展をしていて、公も民も
自転車の活用に前向きだということが伝わってきました。
警視庁交通部のブース
ステージで行われたトーク。
テーマは「自転車活用推進法と自転車のまちづくり」
登壇者 左から
疋田 智氏 (自転車ツーキニスト)
小早川 悟 日本大学理工学部交通システム工学部教授
小林 成基 NPO法人自転車活用推進研究会理事長
小倉 宗治 三井住友トラスト基礎研究所研究理事
小倉氏によるパワーポイントの説明が明快で分かりやすく、
各国で、国レベルで計画を策定して、自転車の位置づけや
目標値をしっかりさせて自転車政策を推進していることが
よく理解できました。
イベントがあり、参加してきました。
会場はJR高田馬場駅近くのベルサール高田馬場
(住友不動産新宿ガーデンタワー地下2階)です。

「自転車活用推進計画」がこれから本格的に始動するのに
向けた自転車のまちづくり博です。
ここに全標協も出展をしました。
国土交通省も警視庁も自治体も出展をしていて、公も民も
自転車の活用に前向きだということが伝わってきました。
警視庁交通部のブース
ステージで行われたトーク。
テーマは「自転車活用推進法と自転車のまちづくり」
登壇者 左から
疋田 智氏 (自転車ツーキニスト)
小早川 悟 日本大学理工学部交通システム工学部教授
小林 成基 NPO法人自転車活用推進研究会理事長
小倉 宗治 三井住友トラスト基礎研究所研究理事
小倉氏によるパワーポイントの説明が明快で分かりやすく、
各国で、国レベルで計画を策定して、自転車の位置づけや
目標値をしっかりさせて自転車政策を推進していることが
よく理解できました。
23日に久保寺さんコンサート ― 2017年09月15日 20時17分
チェロとピアノコンサート ― 2017年09月23日 22時31分
小田高同期の久保寺敏郎さんのコンサート
「チェロとピアノ第10回コンサート」にいってきました。
チェロは久保寺敏郎さん。ピアノは久保寺美帆さん。
会場は秦野市文化会館小ホールです。
演奏を始める前に、10回を迎えた演奏会への思いと、
来てくださったかたにお礼のことばを述べる久保寺さん。
一昨年のコンサート、
昨年のコンサート
にも書きましたように、彼の本業は建築家です。
主な作品に秦野市立図書館ー日本建築士会連合会賞優秀賞受賞
があります(再掲)。
今年の演目はサン・サーンスとフォーレの作品でした。
サン・サーンスのチェロソナタ2番は壮大な曲。
久保寺美帆さんのピアノがとにかく圧巻でした。
第10回記念ということで、最後に日本の歌シリーズまで
用意されていました。
コンサートのあと二次会で、久保寺さんや地域のお仲間や
高校の同級生たちと楽しく有意義なひとときを過ごしました。
健康に留意して、来年もまた素晴らしい演奏を聴かせて
くださるよう祈念しています。
「チェロとピアノ第10回コンサート」にいってきました。
チェロは久保寺敏郎さん。ピアノは久保寺美帆さん。
会場は秦野市文化会館小ホールです。
演奏を始める前に、10回を迎えた演奏会への思いと、
来てくださったかたにお礼のことばを述べる久保寺さん。
一昨年のコンサート、
昨年のコンサート
にも書きましたように、彼の本業は建築家です。
主な作品に秦野市立図書館ー日本建築士会連合会賞優秀賞受賞
があります(再掲)。
今年の演目はサン・サーンスとフォーレの作品でした。
サン・サーンスのチェロソナタ2番は壮大な曲。
久保寺美帆さんのピアノがとにかく圧巻でした。
第10回記念ということで、最後に日本の歌シリーズまで
用意されていました。
コンサートのあと二次会で、久保寺さんや地域のお仲間や
高校の同級生たちと楽しく有意義なひとときを過ごしました。
健康に留意して、来年もまた素晴らしい演奏を聴かせて
くださるよう祈念しています。
「夕閑帳」よ さようなら ― 2017年09月30日 20時30分
前にも書きましたように、岐阜新聞夕刊が本日2017年9月30日
をもって廃刊となります。
1987年3月から月3−4本のペースで執筆してきたコラム
「夕閑帳」(ゆうかんちょう)も終了です。
30年という間には、ハプニングもいろいろありました。
9月の初旬にも「ミサイルとJアラート」と題した原稿を書いた
ところ、掲載直前に2発目のミサイルが日本列島を通過し、
大急ぎで原稿を書き直しました。
最終原稿は「ミッション終了」
9月27日に掲載されました。
この日は紙面1面の右下に「10月から夕刊を朝刊に統合します」
という告知が出ていました。
記念に1面の新聞名と、告知と最終原稿をキリハリしました。
私の最初の原稿は「岐阜日日新聞」だった1987(昭和62)年
3月9日の「坂のある街」です。
キリヌキを何で貼ったのか、この1枚だけ変色しています。
そうそうそう。コラムの執筆当初、この「夕閑帳」という
文字が判読できず、周りの人たちはそれぞれ勝手に名づけて
いたっけ。
(貴女が書いている「夕開帳」とか「夕刊鳥」とか・・)
そして、このイラストが「鵜(う)」だと分かる人も
あまりいなかったのです。
2本目の原稿「計算機」はちょっとイレギュラーな形。
段落の間の♢が1つだけです。
本当にあっという間の30年でした。
お手紙や励ましの言葉をかけてくださった読者の皆様には
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
をもって廃刊となります。
1987年3月から月3−4本のペースで執筆してきたコラム
「夕閑帳」(ゆうかんちょう)も終了です。
30年という間には、ハプニングもいろいろありました。
9月の初旬にも「ミサイルとJアラート」と題した原稿を書いた
ところ、掲載直前に2発目のミサイルが日本列島を通過し、
大急ぎで原稿を書き直しました。
最終原稿は「ミッション終了」
9月27日に掲載されました。
この日は紙面1面の右下に「10月から夕刊を朝刊に統合します」
という告知が出ていました。
記念に1面の新聞名と、告知と最終原稿をキリハリしました。
私の最初の原稿は「岐阜日日新聞」だった1987(昭和62)年
3月9日の「坂のある街」です。
キリヌキを何で貼ったのか、この1枚だけ変色しています。
そうそうそう。コラムの執筆当初、この「夕閑帳」という
文字が判読できず、周りの人たちはそれぞれ勝手に名づけて
いたっけ。
(貴女が書いている「夕開帳」とか「夕刊鳥」とか・・)
そして、このイラストが「鵜(う)」だと分かる人も
あまりいなかったのです。
2本目の原稿「計算機」はちょっとイレギュラーな形。
段落の間の♢が1つだけです。
本当にあっという間の30年でした。
お手紙や励ましの言葉をかけてくださった読者の皆様には
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
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