「夕閑帳」よ さようなら2017年09月30日 20時30分

前にも書きましたように、岐阜新聞夕刊が本日2017年9月30日
をもって廃刊となります。

1987年3月から月3−4本のペースで執筆してきたコラム
「夕閑帳」(ゆうかんちょう)も終了です。

30年という間には、ハプニングもいろいろありました。
9月の初旬にも「ミサイルとJアラート」と題した原稿を書いた
ところ、掲載直前に2発目のミサイルが日本列島を通過し、
大急ぎで原稿を書き直しました。

最終原稿は「ミッション終了」
9月27日に掲載されました。
この日は紙面1面の右下に「10月から夕刊を朝刊に統合します」
という告知が出ていました。

記念に1面の新聞名と、告知と最終原稿をキリハリしました。

私の最初の原稿は「岐阜日日新聞」だった1987(昭和62)年
3月9日の「坂のある街」です。
キリヌキを何で貼ったのか、この1枚だけ変色しています。
そうそうそう。コラムの執筆当初、この「夕閑帳」という
文字が判読できず、周りの人たちはそれぞれ勝手に名づけて
いたっけ。
(貴女が書いている「夕開帳」とか「夕刊鳥」とか・・)
そして、このイラストが「鵜(う)」だと分かる人も
あまりいなかったのです。

2本目の原稿「計算機」はちょっとイレギュラーな形。
段落の間の♢が1つだけです。

本当にあっという間の30年でした。
お手紙や励ましの言葉をかけてくださった読者の皆様には
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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