根府川駅構内の慰霊碑訪問2017年05月22日 21時13分

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災で、
忘れてならない列車事故があります。
根府川(ねぶかわ)駅列車転落事故です。

その当時、東海道本線は国府津(こうづ)から箱根の外輪山を
迂回する形で沼津に抜けていました。
現在の御殿場線に相当します。

1934年(昭和9年)に熱海ー函南(かんなみ)間に
丹那トンネルが開通し、それ以降、東海道本線は、
国府津ー小田原ー熱海ー函南ー三島ー沼津のルートに
なったのです。

現在の東海道本線と御殿場線の路線図です。
(画像提供:ヴァル研究所 「notte!」様)
なお、ヴァル研究所様から、上記画像は旧版の路線図なので
新しい路線図をお送りしますということで、下記路線図を
ご提供いただきました。
重ね重ね御礼申し上げます。
関東大震災が発生した当時、根府川駅を通っている鉄道は
熱海線で、国府津駅から真鶴駅まで延伸していました。
その熱海線根府川駅のホームに、東京発真鶴行列車(蒸気
機関車)がさしかかったちょうどそのとき、地震が発生し、
客車も機関車も海側に脱線転覆してしまったのです。
さらに根府川駅の裏山が崩れ、土石流が発生しました。
列車は真下の海(相模湾)に転落し、海中に沈みました。
土石流は根府川の駅舎や構造物、駅にいた旅客や駅員も
飲み込み、海に押し流しました。

本震の4分半後の余震でも大規模な土石流が発生しました。
この土石流は根府川駅のすぐ南側を流れる白糸川に
架かっていた鉄橋を橋台ごと押し流しました。
根府川地区の住民は本震の5分後に押し寄せた津波と、
土石流とにはさまれ、多くの人が犠牲になりました。

(根府川地区は当時「足柄下郡片浦村」で、私が生まれた
「足柄下郡国府津町」と同じ日=1954・昭和29年12月1日
に小田原市に編入されました。)
ということで、根府川の土砂災害は小田原市民としては
本当に身近で起きた大災害という認識なのです。

さて4月27日に私が理事を務める特定非営利活動法人
防災情報研究所の理事会、総会がありました。
同じく理事の西本晴男筑波大学大学院教授と歓談していたら
「根府川駅の構内に関東大震災の慰霊碑があるんだけれど、
訪問したことありますか?」と尋ねられたのです。
西本教授の専門は環境防災学で、中でも土砂災害を
メインに研究されています。
著書に『「土石流」のはなし』(社団法人 全国治水砂防協会)
があります。

これまで何十回となく根府川駅を通っているのに、慰霊碑を
見たことは一度もありません。
というか、全く気づきませんでした。
そこで、20日に小田高のクラス会に行く前に、根府川駅まで
足を延ばしてみました。
ホームのどこにも慰霊碑はありません。
根府川駅から見る相模湾は絶景です。
下り線ホームの一番東京寄りです。
すぐ下に相模湾が広がっています。
東京〜熱海間で一番眺めの良い駅ではないかしら。
これでは土石流に襲われたら海に転落するしかないですね。
階段を上って跨線橋を渡り、改札に向かうと無人駅でした。
無人駅とはびっくりです。
線路の向こうに広がる相模湾。
そして、ありました。改札口のすぐ横に慰霊碑が。
「関東大震災殉難碑」
昭和48年9月1日に建立されたようです。
白糸川鉄橋を渡る列車と蒸気機関車の写真も飾られていました。
西本教授から情報をいただかなければ、慰霊碑の存在も
知らないままでした。
帰宅して早速西本教授にメールでご報告しました。

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